挿絵から推測すると、使用された楽器は三味線と、もう一方は何か縦にくわえて吹く楽器
、篳篥のようなものでしょうか。御神楽として演奏されていたようです。 |
縄文時代の亀楽は亀を楽器として使用。 |
西尾流亀楽の初代は西尾政賢(1872〜1916) 新潟県東蒲原郡に生まれ、塩の専売局に勤務します。その後 転勤により福島、京都、香川などを転々とし、各地の伝統芸能に触れることで 彼の音楽的素養は磨かれていきます。 1902年、ついに彼は亀楽に出会います。その頃細々と受け継がれていた 亀楽を偶然耳にした政賢はその衝撃的音楽に感激し、以後は亀楽に没頭し、 1905年には西尾流亀楽を打ち立てています。後継者がなく風前のともし火だった亀楽 は一気に勢いを増し、それは2代目の時代まで続きました。 政賢の打ち立てた亀楽には、彼が香川に赴任したときに出会った松原太鼓の 影響がとても強くみられます。後に再び訪れた香川県綾歌郡林田村で疫病に倒れ、帰らぬ人となった ウドン好きの政賢にとって、香川は特別な場所であったに違いありません。 二代目は西尾勝夫(1904〜1962) 逓信省に勤務しながら、父から受け継いだ亀楽を発展させていきます。 この時代の亀楽はより「踊り」的要素を濃くしていきます。勝夫の 「亀楽おどり」は一世を風靡し、亀楽はもはや安泰かと思われました。 亀楽おどり…首を振りながら町を練り歩く 当時の盛況ぶりがわかる(長門町八幡神社にて) 結婚式では「祝い亀楽」が定番
ところが、複雑なリズムの亀楽が、踊りには少し難解に感じられ、
より一般的な音頭などを大衆が好むようになると、亀楽は一気に衰退してしまったのでした。 亀楽の衰退について思案する在りし日の勝夫(左) この亀楽の衰退に歯止めをかけた人物が山崎重之助(1908〜1969)です。 重之助は、浅草猿屋町の指物師(さしものし:桐などの板を使って小引出しなどを作る職人)山崎巳之助(1869〜1961) の長男として生まれ、自らも指物師となります。 重之助は伝統工芸職人でありながらモダンな感覚の持ち主で、 行き詰まった亀楽に悩む勝夫に、サックスやトランペットなどの西洋楽器を導入する というアイデアを授けたのでした。これによって亀楽はより活き活きとした音楽に 生まれ変り、新しい局面を迎えます。 重之助の楽曲は「向柳原の正ちゃん亀楽」など今も演奏されています。 重之助のモダンな感覚はその服装からも明かだ 三代目の西尾和倫(1937〜)はさらに亀楽に<音ぼけ奏法>という それまでの亀楽にない全く新しい技法を導入し、四代目の西尾賢(1963〜)に 正確に受け継がれています。 現存する最も古い音の資料は、昭和20年代に録音されたと思われる 「北三谷亀楽」で演奏者は不明です。音質がかなり悪く断定できませんが おそらく、ソプラノサックスとトランペット、ハーモニカが旋律を担当していると 思われます。 「北三谷亀楽」を聞く また、同じ頃に録音された「ひさご亀楽」は、この時代の亀楽には珍しく歌が付いています。 ここに歌われている「ひさご」とは見性寺前にあった呑み屋の名前であるという説が有力です。 「ひさご亀楽」を聞く 昭和39年頃のひさご(右:ひょうたんの戸が目印) つい最近まで営業していた 左奥は踏み切りで待つ人と車 その線路の先(写真奥)に亀有駅がある |
亀楽全盛の頃、その影響は当時の流行歌などにも色濃く残っています。 ハーモニカ、シロホンベル、ピアノによって演奏されています。 亀楽そのものといっても過言ではありません。 2. 節海淡 ドーコレボントから発売された丸ちいさんの端唄です。 3. 箱手玉楽音 まさに箱手玉!! |
初代・政賢の父・義久保【よしひさたもつ】(1842〜1880)は、
江戸麹町上屋敷・京極飛騨守・内藤村三左ヱ門の孫(幼名豊吉)として生まれ、
生後84日目に二本松藩・西尾茂兵衛藤原政勝の養子となる。
戊辰戦争(白河口の戦い)では二本松藩大砲方として白河口に出陣する。
戊辰戦争後は、西尾義久藤原保という姓名を、西尾義久保とし、1871年に上京、
井荻(現在の西荻窪)に住を移し1880年まで生活する。
9年間の井荻での生活でたくさんの芸術家や文化人と交流した。
義久保の趣味は、音楽、絵画、文学、骨董など多岐に渡り、
また大酒飲みとしても知られ、日に3升を飲んだと伝えられる。
そんな環境の中で政賢は産まれた。 政賢は毎年節分に西荻窪の茶舗神社・明日香弁財天に節分龜樂を奉納していた。 8歳まで暮らした町、短い間だが父と一緒だった町として特別な思いがあったに違いない。 茶舗神社は合祀により消滅、今は亀有のたまゆら神社資料館に古い弁天像が残っているのみである。 二本松では藩主が丹羽家であったことから、節分の「鬼は外」が「お丹羽外」に聞こえるので、 「鬼〜外〜」と言っていたという。「節分龜樂」でも「鬼〜外〜 鬼〜外〜 福は内〜」 という掛け声が使われている。 西尾義久保(1842〜1880) 明日香弁天像(たまゆら神社資料館所蔵) |
二代目・勝夫の考案した亀楽おどりは桃の節句の
行事として今も続いて行われています。毎年3月3日の
午前0時から4日の午前0時まで、雛亀楽の演奏に合わせて
休みなく踊られる亀楽おどりは、亀有の春の風物詩として
定着しています。 毎年3月3日午前0時見性寺をスタート 午後10時頃から踊りはクライマックスへと向かう お問合せは亀楽おどり実行委員会まで |
亀楽踊りで使われる面は、
佐原張子の流れを汲む職人によって
作られたと言われている。上の写真のように亀とおかめを組み合わせて付ける場合と、
下図のように亀のみ付ける場合がある。
|
二代目・勝夫の命日4月16日にちなんで、
西尾家では毎年4月初めに「はりぎりめし」を作って食べる風習がある。
「はりぎって行こう!」というダジャレを小さいころから叩き込まれる。
はりぎりめしの作り方は
【クックパッドに掲載中】 |
二代目・勝夫の妻で名誉会長・故西尾アサヨの生誕を記念して、
毎年5月3日に「ほらふきめし」という行事が行われる。
その日、朝採った蕗を使って炊き込みご飯をつくり、
参加者は向かい合ってあるいは車座になって座り、なにかひとホラ吹いてから、蕗ご飯を威勢良く食べるというもの。
単純ながら妙に高揚感のある行事で、この日を心待ちにしている人も多い。
このとき作られる蕗ご飯は、蕗と油揚げをさっと煮たものを、炊きたてのご飯に和えて作る。干しむつごろうで取った出汁を使うのが特徴。
【作り方はクックパッドに掲載中】 |
たまゆら稲荷神社例大祭(10月)・・・通称たまゆら祭りで夜を徹して踊られる「おきんたま踊り」は亀有の秋の風物詩。
奉納される「玉子巾着」は五穀豊穣を祝う縁起ものをおでん仕立てにした名物料理である。
昆布と鰹の薄味の出汁に、うずらの玉子が2個入った油揚げの巾着、しめじ、ちくわぶ、結び昆布が入っている。
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おきんたま踊りの名人「こてこ亭勝次」(1894〜1988)は金沢の呉服屋の長男として生まれたが、道楽が過ぎ勘当され、 旅芸人一座にもぐりこみ北九州にたどり着く。そこで出会った北御門テルと結婚。 その後、台湾へ渡り、のちに満州で終戦を迎え、家族とともに日本へ帰る。豆奴は勝次の孫である。 在りし日の勝次と豆奴 |
たまゆら稲荷神社例大祭では毎年、玉男が氏子から1人選出される。玉男は翌年の例大祭までに、富山県朝日町のヒスイ海岸で
たまゆら石を探し、奉納しなければならない。たまゆら石をさすればたちまち子ができると伝えられている。
たまゆら稲荷神社 たまゆら石 「翡翠になった大亀」 たまゆら神社の池には昔から大亀が住んでいた。ある時、岸で日向ぼっこをしていた大亀に こどもがおしっこをかけたら、大亀は死んで石になってしまった。その後、村では天災や疫病が次々と起こったので、 神主がその石を祀り、大亀の鎮魂を祈り、村人が踊りを奉納したところ、災いは止み、石は翡翠になっていたという。 |
初代・政賢が香川赴任中に出会い、その多才な芸に惚れ込んで、
亀有への移住を強く勧め、二代目・勝夫に引き合わせた芸人・ミヤコ龜々(1878〜1942)は、
たまゆら祭りでのおきんたま踊りの際、狂言回し的な踊り手として登場する「おふぐりさん」を今の形に完成させた人物である。
現在もその芸は、三代目・ミヤコ龜々(1969〜)によって受け継がれ、ますます多才な芸に発展し続けている。
ミヤコ龜々(亀有風俗絵巻) |
亀有たまゆら稲荷神社の参道にある小さな茶屋「あすかめ」を長年営んでいる鍋渡池子(なべわたりいけこ)さん(69歳)は、
この店で「玉巾一筋60年!」、9歳のときから玉巾を包み続けている。例大祭の時はもちろん、普段も参拝の人々に玉子巾着を販売している。一皿¥300。見事な包みっぷりの巾着、
素材と出汁にこだわった味わい深い一品。今日も「おいしいよ。食べてきなよ」と道行く人に声をかける。
こどもたちから「たまきんおばちゃん」と慕われている |
各家庭でも好んで作られ食べられている玉子巾着だが、煮詰まって味の濃くなったものを利用して
玉巾にゅうめんとして食べるのも人気である。
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正月が明けて1月7日には毎年、旬の蕪を賭けておいちょかぶ大会が開催される。ここで儲けた蕪を使った漬物は、おいちょ漬けとして親しまれている。 【作り方はクックパッドに掲載中】 発酵がすすみ酸味が程よいおいちょ漬け。 |
龜樂歌呆舞伎が盛んに演じられていたころ、なぜか大根役者であればあるほど人気があったという。その人気にあやかりたいと作られたのが、この役者漬け。
半割にして干した大根を甘酢で漬けた冬の名物である。 【作り方はクックパッドに掲載中】 干した大根のパリパリとした食感 |
龜樂どんどんは、ひき肉入りのどんどん焼きで、勝夫夫人アサヨ考案による料理。おやつにもおかずにもなる1品で
、素朴な味が人気。 【作り方はクックパッドに掲載中】 |
初代・政賢の時代から、赴任地で出会うさまざまな題材をもとに、その土地の新しい民謡がつくられてきた。
バリゴ節(香川)げんげ節(富山)越前くらげ節(福井)博多あらくえ節(福岡)団子節(愛知)どぶろく酩酊節(新潟)
献血かぞえ唄(京都)などが有名。 |
富山県 生地地区民謡 | げんげ節 |
香川県 東かがわ市民謡 | バリゴ節 |
新潟県 佐渡島 | ハロー佐渡島音頭 |
愛知県 大高民謡 | 団子節・梅干音頭 |
福井県 武生民謡 | 越前くらげ節 |
福岡県 博多民謡 | 博多あらくえ節 |
栃木県 結城市 | ファミーユ音頭 |
長崎県 諫早ソング | ジャズモト健一「俺の忘れ物」 |
新潟県 上越民謡 | どぶろく酩酊節 |
三重県 鈴鹿ソング | 旅先の女 |
沖縄県民謡 | いいですね 沖縄 |
大阪府 | ゆうれい音頭 |
京都府 | 献血かぞえ唄 |
北海道 広尾町 | 広尾町酪農音頭 |
東京民謡 | むし節 |
東京都 築地民謡 | こじゃもじ音頭 |
北三谷亀楽の三味線パートや中之台亀楽の旋律などには、沖縄風音階が使われています。
これは、昭和初期の亀楽に多大な影響を与え、自らも楽師として活躍したにごうり姉妹
の次女「ふく」(1910〜1992)が積極的に亀楽に導入したアイディアです。 にごうり姉妹:次女「ふく」 にごうり姉妹は、長女「静」次女「ふく」三女「清」からなる三姉妹です。長女と三女による 歌や漫談や踊りを中心とした出し物で全国を旅した旅芸人で、特に琉球民謡の評判が高かったようです。 次女のふくは三味線を担当、長唄、常磐津、各地の民謡などを自在に弾きこなし、当時あまりなじみのない 琉球民謡も、天性の音感と研究心によって自らのものとしていきました。 1936年、次女ふくの結婚により、惜しまれながらも姉妹の芸能活動は休止。その結婚相手が前述の 指物師:山崎重之助だったのです。戦後は主婦をしながらも、時には亀楽師として演奏したり、 三味線を教えたりしながら、ほぼ生涯現役の82歳で永眠したのでした。 82歳当時の ふく 四代目愛用の三味線はふくの形見である ★音で聴く【1982年頃のふく】★ 亀有捏造伝統芸西尾流龜樂ライブラリー 「山崎ふく 語る」より |
ちんどん屋と亀楽との関係については、まだ研究されはじめたばかりで、ほとんど
何もわかっていません。明治以降の亀楽は、ちんどん屋「勇亀(いさみかめ)」から派生した
ものであるという説、ちんどんと亀楽は全く無関係という説、など研究者のあいだで様々な見解が
とびかっています。 西尾流に関して云えば、二代目:勝夫の日記には、幼少のころの記述に「少年の時から芝居、活動が大好きで町を通る楽隊の 音を聞いてはたまらず母にねだって大抵は来る度に見た。…」とあるので、おそらく意識無意識に関わらず、音楽的には多大な影響を受けているであろうと思われます。 勝夫の日記 |
伝統的な亀楽は基本的には器楽曲ですので、踊りは伴わないのが普通です。 現在使用される主な楽器は、サックス、トランペット、鍵盤ハーモニカなどで、これらは 主に旋律を担当します。また、ドラムスや各国各種の打楽器、三味線や三線は 伴奏を担当します。 楽曲はシンプルな一つのメロディーを二つ以上の楽器がユニゾンで奏で、 打楽器と三味線などがリズムを支えます。メロディーは少しづつ即興により変奏されて いきますが、その変奏のしかたは各々の楽師に任されています。 リズムは基本的には四拍子ですが、変奏されていくうちには各々の楽師によって様々な 拍子が演奏されるので、それにより独自のリズム的効果が得られます。 楽譜は五線を現在は使用していますが、はじめに亀号を付します。 ト音亀号(上) ヘ音亀号(下) |
これら伝統曲の他、新作曲も多数書かれています。さらに、わずかな資料をもとに
、古亀楽の再現にも積極的に取り組んでいます。チョンチョコリン亀楽は
その代表的な楽曲で、寄席の出囃子などによく演奏されていたようです。 亀有付近の三味線教室では、長唄、俗曲、民謡などとともに亀楽も教えている所が 数多くあります。また多くの小中学校で音楽の授業に亀楽を取り入れています。現在、教則本 として使用されているのは「亀楽大全」(全五巻:西尾勝夫著)ですが、これは非常に 専門的な著書で主に亀楽師や亀楽教育者向けであり、一般向けではありません。 近々ようやく一般向け亀楽教則本「Let's亀楽!vol.1三味線タブ譜付き」(西尾賢著) が甲羅出版より発売される予定です。 |
毎月1日には楽師は亀楽粥を食べる習慣があります。これは京都の松尾大社の風習を、京都に赴任していた
初代:政賢が導入したものです。
松尾大社は醸造の神、西尾流に代々伝わる密造ねつ造酒「腰ぬかんばい」を毎年奉納しています。 西尾流の亀楽粥は松尾大社のものとは随分違ったものとなっています。白粥にほんの少し「腰ぬかんばい」 をおとし、亀有名物「岩亀せんべい」を砕いて散らすとできあがりです。 |
各地の伝統芸能を調査することも、捏造伝統芸を磨いていく上で欠かせません。 竹富島を調査する四代目(2015年2月)・・・伝統芸能継承之碑の前にて 千葉県白浜を調査する四代目(2015年7月)・・・白浜音頭発祥の地の碑の前にて 福島県 でこ屋敷(2017年5月)・・・ひょっとこ祭りの調査 名古屋市 七尾天神(2017年6月)・・・亀 と うそ にまつわる調査 西尾市 (2017年6月)・・・亀姫 と てんてこ祭りの調査 奄美大島宇検村(2017年6月)・・・芦検稲すり踊りの調査 北海道襟裳町(2017年7月)・・・2つの襟裳岬の歌碑の調査 |
柴山氏はサンフランシスコ在住の日系3世です。日本からの移民によってアメリカで独自の発展を遂げている
Kamegakuについて調べている亀楽研究家です。自分の名前「亀雄」
と亀楽、さらには「かめあり」と「アメリカ」、その因果関係について興味深い分析をされています。 2002年5月12日に開催された亀楽継承者と研究者のはじめての合同会議に出席するため来日し、 広く発掘調査も行いました。 S.Fベイエリアの調査をする亀雄(左)に同行する四代目(2001年6月) |
2005年5月、戦後初めて祝言亀楽が某所で披露されました。 祝言亀楽は結婚式において、口上の後いくつかのめでたい亀楽をつづけて演奏する様式で、 特別な舞いを伴います。複雑な構成とおおがかりな事などから、ほとんど演奏されることが なくなっていたのですが、久し振りの演奏に会場のお年寄りからも「ああ、懐かしい」と いう声があがっていました。 |
2009年11月、とある結婚パーティーでの祝言亀楽では
豆奴の十八番、「南京豆すだれ」の妙技も披露。この日の祝言亀楽は「祝い亀楽」
「ばりご節」を組み合わせ、新郎新婦にちなんだ内容の祝い歌として賑やかに演奏された。 |
2012年5月、結婚パーティーでの祝言亀楽 「南京豆すだれ」「祝い亀楽」「おきんたま踊り」「ばりご節」 新郎のトランペットとの共演も。 |
2013年12月、結婚披露宴での祝言亀楽 「南京豆すだれ」「祝い亀楽」「ばりご節」「おきんたま口上締め」 |
2019年2月、西荻合同結婚披露宴での祝言亀楽 「祝い亀楽」「南京豆すだれ」「西荻SAGA甚句」「ばりご節」 「天上の笛の音」「おきんたまおどり」 演者・・・四代目、豆奴、ひろうす |
2014年12月、東中野モモガルテンにて第二回「捏造展」が開催されました。
今回は、捏造名物料理「玉子巾着」が特別メニューとして提供されました。
師走の宴には切り絵師チャンキー松本さんや丸金、豆奴、四代目が出演、
また亀楽を聴く会では4時間にわたり捏造音源を聴きながらおいしいお酒やおつまみを楽しみました。 |
2015年2月、西荻案内所にて第三回「捏造展」が開催されました。
節分龜樂の再現奉納や、豆まき、記念演奏会などのイベントがあり、
名物「玉子巾着」、神亀、12年熟成龜茶、亀の子煎餅などもふるまわれ、楽しい1週間でした。
節分龜樂奉納の様子(西荻案内所日記) 龜樂演奏会の様子(西荻案内所日記) |
2015年12月〜2016年1月、名古屋「空色曲玉にて第四回「捏造展」が開催されました。 龜樂展開催・大全集発売を記念して【新春歌い初め 開運龜樂奉納寄席】と題し、数々の捏造芸が披露され、 60人を超す満員の観客を沸かせました。 |
豆奴、金丸による名古屋の秘芸「きんしゃち」 「かっぽれ龜樂」 |
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【開運龜樂奉納寄席 演目】 ≪一部≫ 1. 龜雅楽 隠法螺貝吹御目見之儀 2. 祝い龜樂 3. 四代目御挨拶 4. 「紙切り」 みやこ龜々 5. Ett(唄) 6. 紙芝居「翡翠になった大龜」(語り部:渓) 7. 「マッチョです」 チャンキー松本 ≪二部≫ 1. 「愛の古戦場」 ハナミズキ 2. 「こじゃもじ音頭」 四代目 3. 「かっぽれ龜樂」 丸金 豆奴 四代目 4. 「尺八と白百合」 5. 「金のしゃちほこ」 丸金 豆奴 6. 「バリゴ節」 7. 「親方様」 みやこ龜々 8. 「おきんたま踊り」 -------------------------- 「にごうりの花咲く浅草で」 |
2016年2月1〜7日、西荻案内所で開催されました。
今回は、期間中に3回「すぼ酒の儀」が執り行なわれました。
詳しくは龜樂研究家でもある案内所所長さんのレポートをご覧ください。 |
2017年11月22日、西荻高架下マイロードで「龜樂寄席」が開催されました。 18:30〜22:30の長時間にわたり、さまざまな演者が繰り広げる芸の数々に 大勢の聴衆は酔いしれました。 |
出演順 こども龜樂+豆奴 恥御殿・順子 さよっぺ+丸金 桃川亜太坊+柳家小春 善福ジゴローとヒマナンデス <仲入り> SAGA姉妹 月太郎 柳家小春 おじゃるず 藤ノ木みか+伊藤啓太+四代目 チャンキー松本 四代目 |
2018年3月23〜25日、大阪 音凪で「龜樂寄席」が開催されました。 大阪での龜樂展・龜樂寄席は初めてのことです。 3日間にわたり、さまざまな演者が繰り広げる芸の数々に 大阪の聴衆は酔いしれました。 |
出演者 Ett チャンキー松本 泊 豆奴 ソボブキ(外山明+伊藤啓太+四代目) モダンDJ特撰集(泊:武村篤彦) ディック長久手(腹話術) 四代目 |
2021年11月13日、台東区根岸 そら塾で「龜樂祭り」が開催されました。 東京近郊での龜樂展・龜樂寄席は久しぶりです。 ゲストに柳家小春さんを招き賑やかに。 |
2022年3月いっぱいで取り壊しとなる台東区根岸 そら塾で「龜樂寄席」が開催されました。 前回に引き続き ゲストに柳家小春さんを招き賑やかに。 |
長谷川那珍(1983〜) 兵庫県生まれ 著書に「前神猪魯李の民俗学」(アロエ出版)がある。 |
郷土民俗研究家・長谷川那珍先生の著書「前神猪魯李の民俗学」(アロエ出版)の中に、 名古屋の芸妓達から聴き取って記録した膨大な御座敷唄についての記述がある。 その中のひとつ「やっとかめ樂」と呼ばれる歌には、名古屋と龜樂、 さらには奥三河の花祭との密接な関係を裏付ける貴重な文句が残っている。 正月龜樂祭で中央に飾られる亀型の飾りやざぜちは、 奥三河の花祭の模倣であることは明らかである。 消滅寸前だった龜樂に祝祭本来の原始的な躍動や、 華やかな色街の雰囲気をも取り入れたいという政賢たちの思いを強く感じとることができる。 |
2017年4月、龜樂の源流をもとめて新潟は上越と佐渡ヶ島を長谷川那珍先生と訪ねた。 上越は瞽女ゆかりの地、門付け芸の樂妓への影響などの意見交換会を識者とともに地元の名店「雁木亭」で行う。 |
さらに、直江津から船で佐渡・小木港に渡り、今も多様な民俗芸能が残る佐渡ヶ島の生きた芸能と文化を調査し、 「龜樂の源流を遡れば、やはり佐渡に行きつくであろう」とする那珍先生の説を裏付ける様々な事柄を実感する。 |
たらい舟を漕ぐリズムから生まれる独特なうねりが複雑な龜樂拍子を生んだとされている。そのうねりを体感しようとする那珍先生と四代目 |
2017年6月、 奄美竪琴を演奏・製作販売している盛島さんを訪ねた。 |
四代目 「インチキ伝統芸をやってます」 盛島氏 「インチキがいいんだよ。ぼくもニセモノよ〜」 |
2017年12月、亀有からハワイ島に渡った日系移民が秘かに伝えたといわれる龜樂を探すためにハワイ島を訪れた。
さっそく虹がお出迎え。吉兆か。 |
カメハメハ大王像のある島の北の町カパアウ、東の町ヒロ、を訪れ調査開始。 |
ホノムの寺院でも調査 |
パパアロアという町でいまも受け継がれ演奏されているという情報を得て、早速向かう。運よくこの日はライブが行われていた。
聴衆と一体となった演奏は形を変えて生き生きと龜樂が伝承されている証。 |
亀にも感謝して旅を終えた。 |
2019年1月3日、 愛知県西尾市の奇祭てんてこ祭りを訪ねた |
平安時代に始まったと伝わる祭り。たいへん静かな祭りでした。 |
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珍味好きだった初代・政賢が考案した厄払いのための儀式。柳川より取り寄せた
わらすぼの干物ですぼ酒を作り、火をつけて青い炎を立ち昇らせて邪気を払うというもの。
季節を問わず行われる。 「わらすぼ わらすぼ わけのしんのす くやしかろう くやしかろう」という歌が繰り返し歌われる。 【作り方はクックパッドに掲載中】 |
この度、江戸時代末期まで存続した幻の芸能「亀楽人形歌呆舞伎」を現代に蘇らせるべく、
「亀楽人形歌呆舞伎」 復活準備委員会を発足する運びとなりました。委員会は
様々な分野の専門家によって構成され、歴史の正確な検証と多角的な視野に基づく復活作業を
行うものであります。 定例会は毎月1日おついたち亀楽に併せて開催しますが、緊急かつ重要な問題については 随時掲示板上で討議していく予定です。 また、2003年5月頃には亀楽人形歌呆舞伎の試験的な上演が実現できるよう準備を整えています。 |
委員長 | ||
亀有ねつ造伝統芸西尾流亀楽四代目 | 西尾 賢 | |
委員 | ||
日本人形劇人協会 事務局長 | 大沢 直 | |
月刊「偽伝統芸能」編集長 | 大造 眞一郎(甲羅出版) | |
百貨山市商会 会頭 | 大野屋 太平洋 | |
甲羅出版編集部 広報担当 | 笠井 羊史乃 | |
料理人 | 膳 鶴舞 | |
五代目 三ノ輪流 | 熊野前 遊郭 | |
住所不定・無職 | 公園のへいちゃん(通称) | |
民族音楽研究家 | 後藤 シャーミン | |
亀楽後援会会長 | 塩浜 美縫 | |
亀楽研究家 | 柴山 Karl 亀雄(米国) | |
正調亀楽歌唱法指導 | 須戸 馬弓 | |
日系ホース鑑定士 | マット 洲本 | |
宝籤歌劇団・夢組 | 駿馬 優 | |
人形劇 | 童心座 | |
農村芸能研究 我孫子産業大学講師 | 利根川 田圃 | |
亀有暫定自治区議長 まき網保存協会監事 | 永井 節 | |
書道家 | 藤ノ木 明仙 | |
舞踊 古巻流家元 | 古巻 薫 | |
樂妓 | 豆奴 | |
落語家 | 柳家 一琴 | |
傀儡戯耳遣い | 王 麗優(中国) | |
(敬称略/五十音順) |
2007年2月1日、ついに亀楽人形歌呆舞伎の復活公演が実現しました。 場所は渋谷「公園通りクラシックス」というライブハウス。演者は「井村淳と 仲間たち」で出し物は「桜はだれが好き」「どてーん」の2本、楽師は、にこ榮、 松本健一楽師、伊藤啓太楽師、四代目の4名。幕開けの「祝い亀楽」から「中川堤御花見亀楽」 「ひさご亀楽」「北三谷亀楽」と演奏され、人形芝居と亀楽の1世紀ぶりの出合いに、 つめかけた多勢の観客は酔いしれていました。 |
縁あってプッペ氏と交流のあった三代目は、氏の人形をもとに 龜樂人形歌呆舞伎を復興させようと計画していたが、1978年、 氏の急逝により頓挫。計画は四代目により、2007年、井村淳氏(1932−2013)の協力を得てようやく実現する。 写真上はプッペ氏と四代目(1967年頃) 写真下はプッペ氏作「ピッキーちゃん」(1959年TBS連続テレビ人形劇) |
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亀楽人形歌呆舞伎を人間におきかえた芝居「亀楽歌呆舞伎」は昭和初期まで農村歌舞伎と同様、 亀有近辺で民間伝承しながら行われていました。写真左は「桐箪笥娘・子別れの場」。右は上演前の 一座。出し物は定番「勝次一代」。神社祭礼などで上演されていました。芝居の始まりと終わりには 「亀楽囃子」が必ず演奏されます。(いずれも昭和10年頃) |
昭和30年頃の亀吉 |
賑やかな「餅つき亀楽」にあわせて餅をつく年末の風物詩「亀楽餅つき」、
これがなくては亀有の年は明けない。餅つき亀楽を唄う歌い手は60歳以上の女性に限られ、
餅をつくのは同じく60歳以上の男性に限られる。 伝説の餅つき名人、加藤亀吉のつく餅は こしとのびとつやと風味の絶妙なバランスが見事であったと言い伝えられている。餅は長方形に伸されてから 包丁で切られるので通常の伸し餅に比べ柔らかい面が多い形となる。 生前の亀吉は年末に必ず福島から上京し、その見事な餅をついて人々に振る舞ったという。 二代目勝夫の妻、アサヨの実家は福島県松川町の農家で、アサヨは女ばかりの 9人姉妹の末っ子。亀吉は、アサヨの長姉の婿であり、 勝夫・アサヨ夫婦の苦境を、経済的に幾度となく援助して亀楽を支えた、 まさに縁の下のちから餅である。 |
邪馬太夫 | |
昭和40年代まで若い男性や文化人までを虜にし、社会現象にまでなった「娘亀楽」。 娘義太夫とは一線を隔し、その実演はほとんどが路上において行われ、 娘亀楽師がその年齢にあまりにも似つかわしくない苦悩の表情で歌い上げる様に、 当時の聴衆は狂喜乱舞しました。唄が最高潮に達すると聴衆は「ど〜してどして〜」と 掛け声をかけ、クライマックスへとなだれ込みます。 |
歴史的に貴重な音源や次々に生み出される新しい亀楽を記録するために 亀楽レコードは設立されました。プライベートに録音された音源の復刻や現在の 亀楽はもちろん、現代のいきいきとした芸能を垣根を越えてCDR化して皆様にご提供 していく予定です。お楽しみに! |
新発売! 「西荻の夜〜暗渠ナイト〜/cwチャチャチャあすか」 善福ジゴローとヒマナンデス ¥500 | |
普及版 「正調げんげ節」 |
「中川堤御花見龜樂」 ちい丸 |
「メモリアル版バリゴ節」 ちい丸 |
「にごうりの花咲く浅草」 平成にごうり姉妹 |
亀有捏造伝統芸西尾流 「龜樂大全集」 四代目監修 ¥1500 |
2枚組の大全集を1枚にまとめたお買得盤。ブックレット付。ご購入はこちら |
kame-gaku 「OKINTAMAODORI」 ¥2500 |
海外向けに作られた2枚組ライブCD。今をときめく豪華出演者の夢の共演! 柳家小春、さよっぺ、おじゃるず1号、チャンキー松本、豆奴、四代目による 2016/12/4に開催されたモモガルテンでの龜樂寄席のライブ録音盤 |
The only Orugorinist in the world 「MAMEYACCO」 ¥2500 |
やはり海外向けに作られた、オルゴリン奏者としての豆奴のリーダーアルバム。 |
亀有捏造伝統芸西尾流 「龜樂大全」 四代目監修 ¥2500 |
現存するほぼすべての亀楽を網羅した2枚組(全50曲)の豪華版。音質は悪いが貴重な音源。 |
亀有捏造伝統芸西尾流龜樂ライブラリー 「山崎ふく 語る」 四代目監修 ¥1500 |
1983年ごろ、四代目が山崎ふくにインタビューした時の貴重な音源。 |
亀有捏造伝統芸西尾流龜樂ライブラリー 「勝夫愛聴曲集」 四代目監修 ¥1500 |
二代目・勝夫の愛聴盤SPレコードを中心にセレクトした貴重な音源。 |
亀楽において、唄や踊りなどを披露する女性たちを、樂妓(がっこ)と呼びます。
龜樂レコード所属の樂妓たちはいづれも厳しい修練を積んだ選りすぐりの芸達者揃い。
それぞれの今後の活動に是非ご期待下さい。樂妓さんたちのスケジュールなどは「亀屋」がすべて管理しております。 |
豆奴 |
にこ榮 |
百合奴 |
ちい丸 |
かつら |
和歌奴 |
ひさのすけ |
丸金 |
月太郎 |
さよっぺ |
ひろうす |
農村だった亀有はやがて日立、三共、日本紙業など工場ができ、大勢の従業員で街が活気づき、
飲食店や遊郭が賑わい始めたころ、宴会などで亀楽を披露するために素人をにわか仕込みで
樂妓としたのがはじまりとされている。あくまでも素人であるという点で芸者などとは一線を画す。 |
一般科 | 専門楽師科 |
気軽に亀楽を楽しみたいという方のためのコースです。 | プロの亀楽師を目指す方のためのコースです。 |
1.個人レッスン 2.アンサンブル実習 |
1.即興音楽の基礎楽理 2.ねつ造技法 3.亀楽の歴史研究 4.亀有地域研究 5.楽器レッスン 6.アンサンブル実習 7.作曲法 8.亀楽師修了認定試験 |
入学金 : 無し | 入学金 : 無し |
受講料 : 1レッスン(1h)¥1000(+スタジオ代+交通実費) (通信講座は無料) |
受講料 : 1レッスン(2h)¥4000(+スタジオ代+交通実費) (通信講座は無料) |
亀楽学院亀有本校 本校のみ3才からの英才教育コース有 |
江古田校 |
横浜校 |
草加校 |
最近、亀楽教室の看板をかかげ、高額な稽古料、教材料を請求する 悪徳教室が増えています。現在、亀楽として認められている流派は 西尾流のみですので、師匠をお選びの際は、西尾流亀楽師の資格の有無を必ずお確かめいただくよう、お願いいたします。 |
学院卒業生ちい丸が
中川堤御花見亀楽でデビューします。 皆様御贔屓の程宜しく御願い申し上げます。⇒聴く |
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ちい丸 プロフィール 1974年 熊本県出身。 高校卒業後上京。R&B歌手を目指すも挫折。故郷に帰る決心 をしかけたその頃亀楽と出会い、学院門下生となる。「初めて 聴いた時、これだ!これこそ私の音楽だ!と感じました。」(本人談) その後は亀楽師としての天性の能力を瞬く間に開花させ、 専門楽師科全過程終了の2004年3月、卒業と同時に 亀楽レコード専属歌手としてまさに「はなやかはなやか」デビュー。 |
豆奴姐さんからの祝辞 ちい丸 賛江 ご卒業おめでとうごいざいいます。早くもデビューと聞き心から 喜んでいます。あきらめず努力した甲斐がありましたね。 ちいちゃんの頑張りと素質には出逢った頃から目を見張るものがありました。 亀楽という伝統音楽を担うにふさわしい逸材です。今後のご活躍、あたしゃ 楽しみにしてますよ! ・・・豆奴 |
百合奴・みさ吉・ちい丸の三人の新ユニット 平成にごうり姉妹が活動を開始します。 奄美の百合奴がリーダーとなり、博多のみさ吉、熊本のちい丸が 歌あり踊りありの漫談を繰り広げます。 四代目西尾賢が祖母「山崎ふく」から受け継いだ 元祖にごうり姉妹の精神と抱腹絶倒なネタの数々を惜しむことなく注ぎこんでの 完全プロデュース。 皆様、御贔屓の程宜しく御願い申し上げます。 「にごうりの花咲く浅草で」⇒聴く |
百合奴 プロフィール 奄美の島歌のなかで育った子ども時代。 上京後、髪結いとして働きながら池袋演芸場界隈で芸を磨く。 平成にごうり姉妹においては長姉的存在。 みさ吉 プロフィール 福岡県糟谷郡出身。博多を中心に歌や太鼓で活動。 他にも数々の楽器をこなす、音楽面での中心的存在。 |
毎年、優れた捏造伝統芸に授与される国内唯一の賞、「日本捏造伝統芸大賞」。 2005年、亀楽は大賞にノミネートされました。 |
ノミネート発表会場での四代目とちい丸 |
二代目・勝夫の妻で長年にわたり亀楽の舞台裏を支えてきた西尾アサヨ名誉会長が、 平成17年7月6日、脳梗塞で入院中の亀有の病院で亡くなった。満93才の大往生であった。 西尾流亀楽の創世記を知る最期の長老の死を惜しみ、功績を讃える亀楽葬が清々しく執り行われた。 |
通夜亀楽を奏でる四代目 |
西尾アサヨ プロフィール 明治45年 福島県松川町出身。 二代目・勝夫の妻として亀楽を支える。 勝夫亡き後も亀楽の発展に力を注ぎ、 77才の時、名誉会長に就任、事実上の隠居となる。 その後も西尾流亀楽の精神的支柱として 若手を激励しつづけていた。 |
2005年11月20日、午後1時より伊勢神宮内宮・参集殿において 四代目による奉納演奏がおこなわれた。奉納されたのは「奉納亀楽」「伊勢亀楽」など 8曲で、約1時間華やかに演奏された。共演は伊藤啓太楽師、かみむら泰一楽師。 |
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四季折々の素材を生かした捏造料理の数々をご堪能ください。団体様ご予約も受け賜わっております。たまゆら稲荷神社から徒歩1分。 |
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